宛如飞翔 翔ぶが如く (1990)

宛如飞翔剧情简介
  第1話/薩摩藩
  弘化3年(1846)、「琉球にイギリス艦隊来航す!」との至急の知らせが、薩摩藩へもたらされた。ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に姿をあらわす7年前のこと。日本はまだ鎖国の深い眠りの中にあった。そんな中、江戸にあって英明の誉れ高い島津斉彬は、政治、国際情勢にも通じ、日本の危機をいち早く察知していた。斉彬は、琉球問題の処理を幕府筆頭老中・阿部正弘から委任され、鹿児島に帰国することになった。しかし、国元での斉彬の立場は不安定なものだった。次期藩主の座をめぐって、現藩主の斉興の側室・由羅が生んだ久光を推す一派と斉彬を推す一派が対立していたのである。藩の実権を握る久光派への反感が斉彬を支持する西郷吉之助や大久保正助ら下級武士を中心に広まっていった。こうした「斉興隠居、斉彬擁立」の動きと、藩の財政責任者・調書笑左衛門が斉彬によって失脚(服毒自殺)させられたことを知った斉興は、激怒し斉彬派の中心人物たちに切腹、遠島、謹慎といった重い処罰を下した。「高崎崩れ」といわれる事件である。これに連座して大久保家の当主・利世は遠島、正助は謹慎処分を受けた。しかし斉彬は、筆頭老中・阿部正弘の協力を得て、斉興を隠居させることに成功。43歳にしてようやく藩主の座についた。嘉永4年(1851)2月のことである。
  第2話/新藩主 お国入り
  嘉永4年(1851)5月、新藩主として薩摩入りした斉彬は早速、藩政改革に着手した。また、藩士に対して「良い意見が有るものは上申するように」と布告を出した。吉之助は、早速、農政のことや先の「高崎崩れ」に対する処置についての建白書を書いた。やがて斉彬から返書が届き、周囲を驚かす。さらに斉彬は、志あるものを江戸へ留学させるという方針を示し、薩摩の若者たちに希望と活力を与えた。
  第3話/運命の女たち
  嘉永5年(1852)正月。新年を祝う西郷家に、新しい家族が加わった。吉之助のもとに嫁いできた俊である。斉彬は、鶴丸城で一門の年始を受けるが、今和泉島津家の娘・敬子に興味を引かれる。斉彬は敬子を別邸に呼び、養女になり江戸に行ってほしいと頼む。江戸への留学生選びが始まったが、吉之助は費用のことを考えると決心がつかない。上司からも「なぜだ?」といぶかしがられる。そんな中、吉之助の祖父、父と相次いで他界する。吉之助は留学生への応募を断念する。
  第4話/黒船来たる
  将軍・家慶の病がにわかに重くなった。万一に備えて、密かに新門辰五郎ら江戸の町火消しの頭領たちは市中警護を命じられる。嘉永6年(1853)、ペリー率いる4隻の黒船が浦賀に姿を現し、幕府は大混乱に陥った。そんな騒動の中、将軍・家慶が病死した。斉彬は、鹿児島にいて、急ぎ対策を講じる。養女に迎えた敬子を公家の近衛家の姫にするなど、いよいよ幕政工作に動き出した。そして斉彬が江戸に向かうお供に、吉之助が選ばれた。斉彬直々の計らいであった。
  第5話/江戸へ
  吉之助の江戸行きが決まり、西郷家は祝いの人たちでごった返していた。だが、正助の姿が見当たらない。「しばらく会えない」と言い置いて姿を消してしまったのだ。嘉永7年(1854)、ペリーが軍艦7隻を率いて再び姿を現し、通商条約の締結を迫る。打開策もない幕府は狼狽するばかりだった。吉之助が江戸へたつ前日、正助が西郷家を訪ねて俊に包みを渡した。出発の朝、吉之助が包みをあけると中には、たくさんの薬が入っていた。感無量の吉之助であった。
  第6話/庭方役拝命
  江戸に着いてから1か月、吉之助は斉彬に呼び出される。斉彬は、ひれ伏す吉之助に庭方役を命じる。庭方役は、お目見え以下の身分の吉之助が面倒な手続き抜きに斉彬と会うことができる都合の良い役職だった。斉彬による吉之助の教育が始まった。同時に斉彬は、吉之助を諸藩の名士のもとにたびたび使いをさせ、吉之助の交流関係を広めた。そんな中、鹿児島では俊が流産。斉彬は原因不明の病におかされる。吉之助は滝に打たれ、斉彬の平癒を一心にいのるのであった。
  第7話/篤姫お輿入れ
  斉彬の病も癒え、嫡子・虎寿丸と近衛家の姫との縁組みも決まった矢先、虎寿丸が急死した。斉興の側室・由羅の呪詛との噂がたち、吉之助ら江戸詰めの若い藩士らは、「お由羅さま、討つべし」と息巻くが、動きを知った斉彬に「藩を割る暴挙」と吉之助は諭される。吉之助は幾島とともに、篤姫の大奥入りの工作を命じられる。篤姫を将軍・家定の正室にした後、一橋慶喜を次期将軍にという斉彬の目論みであった。安政3年(1856)、ついに篤姫は家定の正室に決まった。
  第8話/異変のきざし
  斉彬と老中・阿部正弘ら一橋慶喜擁立派に対して、次の将軍は紀州家からとする老中・井伊直弼が断固反対する。斉彬は薩摩への帰国途中、京都に立ち寄り、公家の近衛忠ヒロに力添えを依頼する。その帰り、斉彬は井伊の手先に襲われるが、吉之助たちの反撃で難を逃れる。3年ぶりに帰国した吉之助だが、家には後の姿が見えない。俊は、流産後の不健康を理由に自ら西郷家を去ったのであった。江戸では斉彬の盟友・阿部正弘が急死した。吉之助のもとに斉彬から江戸出府の命が出た。
  第9話/大老・井伊直弼
  江戸へ向かった吉之助は、京都で僧・月照に会う。月照は吉之助に、紀州家を推す井伊一派に注意するように忠告する。江戸に出た吉之助は、幾島から大奥での紀州派の動きを聞く。幕府は、日米修好通商条約締結の勅諚をもらうために老中・堀田正睦が京に上る。さらに吉之助と橋本左内も連れだって京へ。そしてついに朝廷から、「次期将軍は慶喜に」との内意が出る。しかし、紀州藩主・徳川慶福を推す井伊直弼が大老に就任し、計画は頓挫。吉之助は鹿児島へ急ぎ、斉彬に出兵を訴える。
  第10話/斉彬出兵計画
  斉彬は、幕政改革のために京都への出兵を決意。吉之助は島津の家紋が入った羽織を与えられ、京都、江戸での工作を命じられる。井伊直弼は、将軍・家定から密かに「次期将軍は紀州の慶福に」との承諾を取り付ける。さらに、井伊は朝廷の許しもなく日米修好通商条約に調印。それを抗議しに江戸にかけつけた徳川斉昭らに謹慎を命じる。そんな中、家定が急死。一橋派は斉彬の出兵に一縷の望みをかける。だが、斉彬も病に倒れ、安政5年(1858)50歳で急逝する。
  第11話/大獄の嵐
  「斉彬、死す」の知らせを受けた吉之助は、絶望のあまり自らの命を絶とうとする。だが、月照は、死よりも斉彬の意思を継ぐべきだと諭す。月照の励ましで、大老・井伊への巻き返しをはかる吉之助。そして朝廷から斉昭らの処分を解くようにととの勅諚が出される。しかし、井伊は朝廷が政治に口出しすることに激昴。水戸藩や諸藩の改革派、志士、朝廷の弾圧に乗り出した。安政の大獄である。吉之助は幕府の追っ手をかわし、月照とともに薩摩を目指した。
  第12話/吉之助入水
  薩摩に帰った吉之助は、月照をかくまってくれるように奔走するが、藩の重役らの態度は冷たい。さらに、斉彬の死後、旧体制に復した藩政府は、幕府ににらまれることを恐れ月照を追放処分にする。絶望した吉之助は、月照とともに海へ身を投げた。月照は絶命。一命をとりとめた吉之助は「わが運命を天にまかせる」と薩摩をあとにする。見送る正助は、久光への接近を決意する。
  第13話/正助の流布
  正助は、久光が囲碁好きだと聞き、久光の碁の指南役である僧・乗願に弟子入りする。乗願を通じて、久光の好む書物の中に手紙をはさむなどして、徐々に「大久保正助」の名前を久光の頭に刻み込むことに成功する。奄美大島で失意の日々を送る吉之助は、島の娘・愛加那と出会い、心がなぐさめられる。大老・井伊の弾圧は強まるばかりだ。水戸藩士の間で「井伊暗殺」が計画され、誠忠組の若者たちも脱藩して京に上ろうと気勢をあげる。正助は、思いとどまるように説得する。
  第14話/桜田門外の変
  久光の出した諭告書が功を奏し、誠忠組の脱藩騒動はひとまずおさまった。しかし、水戸浪士による井伊暗殺の計画は密かに進んでいた。万延元年(1860)3月。降りしきる雪の中、登城する大老・井伊の行列を水戸と薩摩の志士が、桜田門外で襲撃した。不意をつかれた井伊はあえなく絶命。「井伊暗殺」の知らせを聞いた久光は、小躍りして喜んだが、正助の直訴にもかかわらず、出兵には慎重だった。そのころ奄美大島の吉之助は愛加那を妻に迎える。
  第15話/南国の女
  吉之助と愛加那の間に男の子が生まれた。一方、薩摩では、誠忠組の中でも過激攘夷論をふりかざす有馬新七らが、異国人襲撃を計画しつつあった。吉之助の弟・信吾もその一人だった。動きを知った正助は、彼らの突出を何とか止めようとする。その正助がついに久光の側近に抜擢され、名前も一蔵と改名、藩政府の中枢に就くことになった。やがて、京都出兵、藩論分裂の危機など、問題山積の藩には信望厚い吉之助の力が必要と痛感した一蔵は、久光に吉之助の召還を願い出る。
  第16話/吉之助 帰る
  出兵の勅許を得るため、一蔵は京都に上がった。しかし、頼みの近衛公は及び腰である。そんな中、天皇の妹・和宮と将軍・家茂との婚儀が決まった。こうした公武合体の動きの一方、諸藩の脱藩浪士たちによる討幕の流れは沸とう寸前であった。薩摩も例外ではなく、有馬新七らが脱藩、京都へ向かった。薩摩に戻り久光の前に呼ばれた吉之助は、出兵計画の不備を次々に指摘。久光の不興を買う。出兵は延期され、吉之助に下関での情報収集が命じられた。しかし、吉之助は独断で入京。久光は吉之助の捕縛、殺害を命じた。
  第17話/同士討ち
  吉之助に対する久光の怒りをしずめることは不可能と判断した一蔵は、密かに吉之助を須磨の海岸に呼び、潔くここで刺し違えようと刀に手をかける。状況を察した吉之助は、藩の将来を一蔵に託し、捕らえられて薩摩に送られる。久光が兵を率いて京都に入った。薩摩の脱藩組も京都伏見に潜入して、決起の機会をうかがう。彼らの爆発を恐れた久光は、誠忠組の中から鎮圧の使者を送るように命じる。文久2年(1862)、大山格之助らは寺田屋に向かうが、説得に応じない有馬らと斬りあいになる。
  第18話/公家攻略策
  寺田屋での事件は、「薩摩が幕府転覆を狙っている」と疑っていた幕府を安心させた。また、朝廷では、岩倉具視が薩摩藩を幕府に対抗する後ろ盾にしようとしていた。この機に幕政改革をと意気込む久光は江戸へ向かおうとするが、公家たちの許可が下りない。しびれを切らした久光は、側から遠ざけていた一を呼び出し、朝廷工作を命じる。一蔵は岩倉を訪ね、多額の金子を贈り、久光の江戸入りの許可を取り付ける。国元に送り返された吉之助は、徳之島に流された。
  第19話/異人斬り
  1千の兵を率いて江戸に入った久光は、勅使を通じて幕政の改革を促す。勅書は将軍の上洛と松平春嶽ら五名の大老職の任命を促すものだ。しかし、老中らは返事を引き延ばす。一蔵は一計を案じ、板倉、水野の二老中に力ずくで返事を迫り、勅書に従う旨の答えを得る。幕府が勅書に従ったことに満足した久光は、江戸をたった。帰路につく行列に馬に乗った英国人が割り込み、お供の侍が斬りかかった。徳之島では吉之助が愛加那と再会を果たす。しかし、間もなく更に南の沖永良部島への流罪があらたに命じられる。
  第20話/薩英戦争前夜
  長州藩などによる朝廷への影響力を心配した久光は、一蔵を家老代行に抜擢し京都へ派遣した。しかし、長州藩の意をくんだ公家、三条実美が江戸城で将軍・家茂に上洛を命じる。一蔵はもどかしい思いで帰国する。そのころ沖永良部島の吉之助は、野ざらしの牢の中で衰えていくばかりだった。見かねた土地の役人は、吉之助を座敷牢に移す。将軍・家茂が上洛し、攘夷実行の期日を約束する。文久3年(1863)、薩摩に生麦事件の賠償を求めて英国艦隊が押し寄せ、一蔵は対策を一任される。
  第21話/慶喜の裏切り
  英国艦隊と薩摩との砲撃戦がはじまった。城下は激しい砲火を浴びせられ、各所で火の手が上がる。武器の差を見せつけられた一蔵は久光に和睦を進言する。沖永良部島で戦争の様子を聞いた吉之助は、歯がみするばかり。急進的な尊王攘夷論を打ち出す長州藩が京都で台頭。一蔵は、京都守護の会津藩と組み、長州を京都から追放することに成功する。将軍・家茂に従い慶喜が上洛。政事を幕府に取り戻すため朝廷に攘夷を示そうとする。さらに慶喜は公家の前で久光を「愚物」と罵る。
  第22話/燃える思い
  久光の公武合体策は、慶喜の策略によって暗礁に乗り上げる。難局を打開するには吉之助の力が必要と感じた誠忠組は血判状を示し、一蔵らと、久光に吉之助の赦免を願い出る。久光はしぶしぶ吉之助の帰藩を許す。一緒に流罪になった村田新八を伴い薩摩に戻ってきた吉之助は、弟の吉二郎に、「西郷家を守れ」と頼む。そして、あれこれと吉之助の世話をするいとを見て、美しくなったといってほめる。思わず鏡に見入るいとであった。数日後、吉之助は京都へ向かった。
  第23話/竜馬と海舟
  元治元年(1864)、池田屋で討幕を謀っていた長州藩士が新撰組に急襲された。憤激した長州藩は兵を起こして御所の蛤御門に押し寄せたが、吉之助が率いる薩摩藩に撃退される。薩摩藩邸の吉之助を坂本竜馬と名乗る土佐浪士が訪ねてきた。竜馬は「薩摩と長州が手を組めないか」と提案する。慶喜に不信感を強める吉之助は、幕臣の勝海舟を訪ねる。海舟は、吉之助に幕府など相手にするなと説く。長州討伐の日が決まり、吉之助は参謀長として参戦。しかし全面戦争は避けようと紋服で、敵地を訪ねる。
  第24話/新たな契り
  吉之助は、長州藩との講和を成功させ薩摩に戻った。その活躍から久光は、吉之助を側役に取り立て、嫁を迎えるようにと命じる。戸惑う吉之助だが、一蔵には思惑があった。翌日、一蔵と満寿は、いとの両親を訪ね、いとを吉之助の嫁にと頼む。慶喜が再び長州征伐を決めた。京都に上がった吉之助を坂本竜馬が訪ねてきて、「長州をつぶしてはいかん。薩摩と長州が手を組むことが必要」と訴える。吉之助は竜馬とともに薩摩へ急いだ。
  第25話/薩長同盟
  長州征伐がはじまれば、薩摩藩として無視できない。吉之助と一蔵は、いよいよ薩摩と長州が手を結ぶしかないだろうと覚悟する。吉之助は寺田屋の竜馬を訪ね、長州の桂小五郎との調停を頼む。会談のため桂が、長州藩の代表として、幕府の目を避け京都の薩摩藩邸に入る。だが、お互いに面子にこだわり、条約締結の話を言い出せず、無駄に時間だけがすぎていく。それを知った竜馬は激怒し、「長州がかわいそうじゃないか」と吉之助を必死に説得。ようやく薩長同盟は成立した。
  第26話/討幕への道
  将軍・家茂が病死したことで、慶喜が将軍に就いた。吉之助は慶喜に対抗するために、雄藩会議の設置を計画。しかし、慶喜は政権への強い執着を見せる。もはや武力での討幕しかないと決意する吉之助に、竜馬が大政奉還の奇策を持ちかける。一蔵は岩倉具視を訪ね、「討幕の密勅」を迫る。これに対し慶喜は先手を打って大政奉還を宣言。同じ日、討幕の密勅が下る。兵を挙げる口実を失った吉之助に竜馬が新政府構想を手渡す。それから間もなく竜馬は暗殺される。
  第27話/王政復活
  大政奉還を宣言したものの、慶喜はまだ将軍にとどまっていた。薩摩から続々と藩兵が上洛してきた。岩倉具視は、密かに討幕の旗印である「錦の御旗」の準備をはじめた。薩摩と長州の兵が御所に入り、警護する中、御前会議が開かれ、王政復古が宣言される。慶喜に将軍を辞任し、領地を返還せよとの命令が下る。慶喜は恭順の意を示すが、配下のものたちは開戦の決意を迫る。そんな中、江戸の薩摩藩邸が江戸警護の兵に焼き討ちされる。口実を得た吉之助は討幕軍を起こす。
  第28話/江戸開城
  慶応4年(1868)1月、薩摩、長州を中心とした官軍は、鳥羽、伏見で幕府軍と衝突した。兵力では圧倒的に優位な幕府軍だったが、官軍が示す錦旗の威光にひるみ、敗走をはじめた。大坂城で戦況を聞いた将軍・慶喜は、その夜、密かに船で江戸へ向かった。吉之助は軍事大参謀に任命され江戸を目指した。一方、江戸に戻った慶喜は、幕臣の勝海舟に後事を託し謹慎。江戸に入った吉之助は勝と会談。江戸総攻撃は中止され、江戸の無血開城が決定。徳川幕府は終焉を迎えた。
  第29話/維新成る
  旧幕臣でつくる彰義隊と官軍の衝突は続いていた。京都にいた大久保一蔵と桂小五郎は、長州藩の大村益次郎を江戸に派遣。大村は上野山の戦いで彰義隊をわずか1日で撃滅する。会津など奥州や北越の諸藩は依然として官軍に抵抗していた。いったん鹿児島に帰国した吉之助は、兵を率いて越後長岡に赴く。そこで、負傷した弟の吉二郎に出会い、死をみとる。慶応4年9月、「明治」と改元。戊辰戦争はほぼ終結した。一蔵は天皇に供奉し江戸城に入る。一方、吉之助は鹿児島に帰った。
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  第二部
  第30話/揺れる新政府
  明治3年(1870)。隆盛(吉之助)は鹿児島で穏やかに暮らしていた。一方、利通(一蔵)は東京で新しい国家建設に奮闘していた。新政府は統制がとれず、官吏の腐敗に抗議する割腹自殺も起きていた。政府転覆計画の首謀者が捕えられ、隆盛をその首領にかつぎ出そうとしていることが判明。隆盛を鹿児島にとどめておくのは脅威と感じた木戸孝允らは、隆盛を早急に上京させるべきだと利道に説く。ヨーロッパ視察を終えて帰国した従道(信吾)が鹿児島に戻り、隆盛に上京をすすめる。
  第31話/決意の門出
  隆盛を新政府に参画させるために、勅使・岩倉具視が利通とともに鹿児島に入る。島津久光は、自分の代わりに藩主の忠義と隆盛を上京させることにする。隆盛は自らの上京と引き換えに新政府への建白書を提出。新政府の驕りを戒める内容に、岩倉は激怒する。明治4年(1871)。隆盛は薩摩藩兵を率いて上京することが決まった。桐野利秋や村田新八などの同志も一緒だ。そして、奄美から呼び寄せた隆盛と愛加那の子・菊次郎も東京留学のため、ともに旅立つことになった。
  第32話/苦難の大変革・廃藩置県
  東京に着いた隆盛は、参議に就任。新政府の最高指導者になった。藩兵として一緒に上京してきた桐野利秋らは元旗本の屋敷を宿舎として借りる。そこへ千絵と名乗る娘が訪れ、位牌を仏壇に供える。その旗本の娘らしい。新政府内では、廃藩置県に関して激論が交わされていた。利通は、佐賀藩出身の江藤新平にこの大事を任せるわけにはいかないと考え、薩摩と長州主導で断行することを決意。隆盛も了承する。この決定を聞いた久光は激怒。鹿児島湾に終夜、怒りの花火が舞った。
  第33話/いけにえの牛
  明治4年7月の廃藩置県により、三百余りあった藩が一夜にして消滅。利通らが怖れた激しい抵抗の動きは見られなかった。とはいえ、廃藩への揺り返しは、おそらく薩摩から起こるだろうと利通らは心配する。千絵は桐野が自分の兄を斬った仇とわかり、斬りかかる。これを知った隆盛は、千絵にあだ討ちを待つように説得し、屋敷に引き取る。 鹿児島から大山らが上京。廃藩置県への不満を訴える。同志の分裂を避けたい隆盛は、自ら「いけにえの牛」になることを覚悟する。
  第34話/欧米視察団出発
  川崎と横浜の間に鉄道が開通。試乗会を欠席した隆盛を弟の従道が訪ねる。隆盛は、「北海道に行って百姓でも」とポツリともらす。新政府内では、欧米視察団の派遣案が持ち上がっていた。利通、木戸らの薩長閥に対抗する佐賀出身の大隈重信や江藤新平は、視察団派遣の主導権を握ろうとする。しかし、利通は自らが視察団の中心になるべきと考え、隆盛に留守を頼む。いったんは利通の申し出を断った隆盛だったが、留守を引き受ける。岩倉を団長に利通、木戸らは欧米へ旅立った。
  第35話/留守政府分裂
  隆盛とともに留守政府を預かる江藤、大隈だが、このときとばかりに政府内での勢力ばん回をはかろうとする。そんな中突然、利通と伊藤博文が帰国した。条約改正に必要な全権委任状を持参し忘れたのだ。利通らの失態を追求する江藤に対し、隆盛は、委任状を渡して条約改正の交渉を続けることが必要と訴える。急ぎワシントンに戻った利通だが、交渉が中止になったことを知らされる。司法卿についた江藤は、公金流用の罪で陸軍大輔の山県有朋を検挙しようとしていた。
  第36話/破裂弾中の昼寝
  隆盛が帝のお供をして鹿児島を訪れる。だが、隆盛は頑として久光に会おうとしない。江藤は、公金流用事件で陸軍省の山県を追い詰めようとしていた。そのころ政府は兵制改革に乗り出す。徴兵制を採用するらしいとの噂を聞いた桐野らは「戦は武士の名誉ある仕事」と不満を訴える。さらに山県の汚職事件を受け、隆盛に「山県を斬る」と息巻く。 隆盛は自ら陸軍元帥につき、収拾をはかる。そんななか山城屋が割腹して果てた。隆盛はついに久光に拝謁。「不忠者」とののしられる。
  第37話/遣韓大使志願
  山城屋の割腹自殺で公金流用事件はうやむやに終わったが、山県は陸軍大輔を辞職。心労から隆盛が倒れた。利通が欧米視察から帰国。隆盛を見舞った後、休暇を取る。病をおして太政官会議に出席した隆盛は、いまや懸案の朝鮮国問題解決のため、自ら遣韓大使を志願。周囲は「殺されるかも」と心配するが、隆盛は「そのときは派兵を」と言い切る。利通は、なんとか思いとどまらせようと隆盛を訪ねるが、自らの死に場所を求めるかのような隆盛の意思はかたく、説得を断念する。
  第38話/大久保の決断
  隆盛の渡韓を聞きつけた旧士族たちが、全国から隆盛の屋敷に押しかけてきた。兄の身を案じる従道は、なんとか隆盛の渡韓を思いとどまらせようと利通を訪ねる。また、岩倉は直接、隆盛の説得に乗り出すが、逆に廟議を開かないのは怠慢と激しい叱責にあう。そのころ、利通に参議就任の話が起こる。利通が参議になるということは、隆盛との全面対決を意味していた。利通は悩みに悩んだ末、従道を訪ね、参議を引き受ける旨を伝える。廟議の前夜、利通は遺書をしたためる。
  第39話/両雄対決
  明治6年(1873)10月14日。隆盛の渡韓をめぐる廟議が開かれた。岩倉は、朝鮮使節問題を避けようとするが、隆盛の怒りを招く。採決を迫る隆盛に、利通は「待った」をかける。ふたりの激しい言葉の応酬に周囲は息を飲むが、結論は翌日に持ち越される。ところが、隆盛は翌15日の会議を欠席。これが岩倉らに無言の圧力をかける。結局、隆盛の渡韓が会議で決定し、利通は辞表を提出。隆盛は「すぐに勅許を」と太政大臣の三条実美に迫るが、三条は一日待ってほしいと頼む。
  第40話/西郷、野に下る
  隆盛と利通、岩倉の板挟みにあって、三条が病に倒れた。伊藤と木戸は、これこそ隆盛の遣韓を白紙に戻す好機と判断。利通に参議復帰を訴える。利通は、巻き返し策を講じる。病気の三条に代わって岩倉を太政大臣代理に任命し、再度、廟議を開き、決定済みの隆盛の朝鮮派遣を覆すという離れ業である。これを知った隆盛は、江藤、板垣らを伴い岩倉を訪問。大使派遣の確認を迫るが、岩倉は派遣は白紙に戻すと言い張る。翌日、隆盛は辞表を提出。利通に鹿児島帰国を告げる。
  第41話/東京政府孤立
  参議を辞し、鹿児島に帰った隆盛を追うように薩摩出身の警官や近衛兵、官吏が職を捨て、政府は危機に陥る。隆盛のもとに、いまは知事になった大山が訪れ、鹿児島のために働いてほしいと頼むが隆盛は固辞。そんな中、いとが男児を出産。西郷家は笑いに包まれる。佐賀が不穏との知らせを受けた利通は、参議を辞職した江藤を見張るように指示。江藤は自邸の書生たちを相手に、「第二の維新」を語り、佐賀に旅立った。「佐賀に反乱」との知らせに、利通は自ら征討軍の指揮をとる。
  第42話/佐賀の乱
  明治7年(1874)、佐賀の士族による反乱軍は佐賀城を占拠。隆盛は、久光から反乱軍を討伐するように命じられるが、「薩摩は動かないことが肝要」と、これを拒否する。戦況は次第に政府軍優位となり、反乱軍を率いる江藤は敗北を悟る。軍を解散させた江藤は鹿児島に隆盛を訪ね、巻き返しをはかろうとする。政府の非を弁じ、決起を迫る江藤だが、隆盛は応じず、江藤は自首を決意する。数日後、江藤は土佐で捕縛。佐賀に連行されるや即座に処刑。首が城下にさらされた。
  第43話/それぞれの薩摩
  佐賀の乱による江藤の処刑は、全国の不平士族の動揺を誘った。利通は不穏な動きをしずめる意図もあって台湾出兵を決める。強引すぎる利通の決定に反発した木戸は参議を辞職。日本の近代化は利通ひとりに託された。隆盛と利通の決別を案じた村田新八がフランス留学から急ぎ帰国。利通の慰留も聞かず、隆盛のもとへ急ぐ。鹿児島に私学校ができた。「大久保憎し」で鹿児島が沸騰する中、妻の身を案じた利通は、満寿を東京に呼び寄せる。利通と鹿児島との永遠の決別でもあった。
  第44話/士族暴発
  隆盛が鹿児島に開校した私学校では、若者たちが集結。反政府の気勢をあげていた。桐野は彼らの不満を押さえるのに懸命だ。廃刀令がだされた。「武士の魂を奪うか」。士族の不満が爆発寸前である。しかし、隆盛は「動いてはならん」と慎重だ。熊本で不平士族による乱が起き、鹿児島の若者たちも勢いづく。隆盛と私学校を切り離さなければならない。大警視の川路は密偵を送った。隆盛暗殺を疑った若者たちは、陸軍の火薬庫を襲った。「なんと!」……知らせを聞いた隆盛は驚愕する。
  第45話/西郷軍挙兵
  私学校に入った隆盛は、桐野を激しく叱責。利通は、隆盛が私学校の若者たちに取り込まれる前に「私学校をつぶさねば」と決意する。川路の放った密偵が私学校の若者たちにつかまり、隆盛の暗殺計画が判明。憤激する桐野や生徒を前に、とうとう隆盛は覚悟を決める。「隆盛挙兵」の知らせにがく然とする利通。自ら鹿児島に行き隆盛を説得すると木戸らに訴える。だが、すでに薩摩軍は鹿児島を発進していた。その夜、隆盛は息子の菊次郎に、従軍してすべてを見届けるようにと語る。
  第46話/西南戦争
  薩摩軍が熊本城を包囲する。城下から隆盛のもとに義勇団が合流。薩摩軍の士気も上がるが、激しい抵抗にあい、苦戦を強いられる。隆盛の弟・小兵衛も銃弾を受け命を落とす。桐野は政府軍を迎え撃つために田原坂に陣を敷いた。激しい戦いが始まった。薩摩軍の勢いに押され気味の政府軍だが、次第に反撃に転じ薩摩軍は退却、敗走を続ける。鹿児島にも政府軍が進撃。城下に砲声が響き、いとは子どもたちを連れて郊外に避難。従道がいとを訪ねてきた。隆盛は最期の戦を決意する。
  第47話/故郷・城山へ
  敗走を続ける薩摩軍は、延岡奪還に最後の望みを託す。大将服に身を包んだ隆盛が総攻撃の号令を下す。すさまじい白兵戦が始まった。圧倒的な兵力の差に追い詰められる薩摩軍。ついに隆盛は全軍の解散を告げ、大将服を火中に投じる。「鹿児島へ」……最期の場所を求め、隆盛はわずかな配下とともに、政府軍の囲みを破って故郷を目指した。隆盛は城山に陣を敷き、決戦に備えた。知らせを聞いたいとは、最後の着替えを隆盛に届けさせる。政府軍に総攻撃の命令が下った。
  第48話/明日への飛翔
  明治10年9月24日未明。隆盛らが立てこもる城山に向けて政府軍の大砲が火を噴いた。隆盛は、いとが届けてくれた新しい着物と下着に着替えると、桐野、村田らわずかに生き残ったものたちを率いて山を下りていった。地を揺るがし炸裂する砲弾。激しく飛び交う銃弾。隆盛らは敵陣めがけて最期の突撃を敢行する。そして、ついに隆盛は腹と足に銃弾を受け、ガクリと前のめりに倒れる。「もうここいらでよか」……隆盛はその場に座り込むと、かたわらの別府に介錯を頼む。白刃が一閃。隆盛51歳の生涯であった。 隆盛の死を見届けると、桐野、村田、別府らもあとを追うようにして戦場に果てる。砲声がやみ、薩摩軍と政府軍の戦いは終わった。「薩摩武士は全部、死んでしまった」久光はつぶやくと、戦死者の埋葬を海江田に命じる。隆盛の死は、その日のうちに東京の利通らに電報で知らされた。つとめて平静をよそおう利通。最愛の兄を失い泣き叫ぶ従道……。翌明治11年5月14日早朝。いつものように馬車で出勤途中の利通が、紀尾井坂で石川県出身の士族に襲われた。賊の刃が利通の腹部を突き、肩を断ち、利通は絶命。急を聞いてかけつけた従道は、利通のコートのポケットに隆盛からの手紙を見つける。半年後、満寿も利通のあとを追うようにこの世を去った。

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宛如飞翔评论、影评、观后感
钱  2015-10-14
内务卿好棒好棒的
Enlil  2013-10-25
挑着看了一些重要的历史事件,片中的人物除了西乡外的性格似乎都和我的印象差距颇大,特别是岩仓和明治时期的大久保。
fanghan  2014-12-27
了解明治维新的好作品
特种兵  2015-03-11
明治维新剧值得一看,剧中那段历史无不透着浓浓的励志情节。